とてもしょうがないものの集積地

つまらん世界(つまらんのは自分)

『』

・はじめに

この記事のタイトルはこの日の僕の行いによって決まります

果たしてそれが『遺書』となるか、『独白』となるか、『生き恥』となるか

 

そんな感じの感情の吐露です

 

今日(公開は日を跨ぎそうですけどこれ書いてるのは10月9日です)はなんとなく朝から死にてえ~という気分でお昼に5%のお酒を1Lほど飲んでしまい横になって寝ていた生産性のない一日だったのですが、眠りから目が覚めるとあら不思議、とても落ち着いているんですよ

だからなんとなく思っちゃいました

「あ、もしかしたら今日は死ねるかもしれん」

しかし21年生きて未だ無知、そして臆病者なので苦しい死に方とかはしたくないし自分の部屋も(賃貸なので)なるべく汚したくない

なのでコンビニで酒買いこんで河川敷に向かってそこで一気飲みしようかなんて考えてる最中です。まあ運良ければ死ぬし運悪ければ江〇川でうんことおしっこ漏らして明日一日と社会性が無に帰すよな~くらいの気持ちです、死ぬならちゃんと覚悟決めて死ねよなとは思いますけど

 

さて、そんなわけでそもそもなんで死にたくなってるのかっていう話をしたいと思うのですが先に述べておくと虚無感です、そしてそれを産み出すものが疲労です

 

疲労の源泉

そもそもどうして疲れが生じるかっていうと世界が許せないことで埋め尽くされててそれらに対してどうしようもない怒りを感じてしまうからなんです

もう一つ疲れの要因としては私が劣等感を抱え続けてしまっていることがあります

 

怒りたいことはたくさんありますが私が最も抱えてる強い怒りって言うのは他人の生命を蔑ろに出来るような人間が少なからず存在しているということです

これらの人間はTwitterで容易に観測することが出来ますし、そうした怒りを抱けるような出来事にもたくさん遭遇できます

なので私はTwitterから少しばかり身を引こうと思いしばらくいなくなっていたのですが、現実世界で全くそういうことがないわけではないんですよね

客とスタッフという立場で平気で暴言を吐いてくるお客様、立場上は上だからと言ってあたかもモノのように自身の配下の人間を扱う奴、そうした社会的な立場だけで相手の尊厳を踏みにじってくるような奴らに対して僕は果てしなく怒りを感じるんですよね、そんなものがないところではお前らも僕らも対等な人間ではないのか、と

まあとは言っても僕らが社会で生きる以上は仕方のないことなのだと思います

 

劣等感の話になりますけども言葉通りの意味で僕は常に周囲の人間にこれを抱いています

しかしながらこれを表出させることって言うのは僕の美学には反していてずっと胸の内に秘め続けている(つもり)のですが、とはいえこれが大変苦しくて疲れる営みなんですよね

 

 

さて、こうして私は生きているだけで多大な疲労を感じてしまうのですけどもそれが無気力へと繋がっていくのです。そうすると何が起こるかっていうと何もする気が起きない、つまり疲労の原因となる怒りも劣等感も解消することができないのです

 

その解消できないものが積もり積もって産まれてきたものが何をしても満たされない、何をしても無駄だという虚無感になるのだと自分は考えてます

 

・虚無

とは言ったものの原因ははっきりとわかっているというか僕に関して言えば疲労の原因となる2つさえ解消してしまえば幾分か楽になれると思うんですよね

なので劣等感も怒りも感じなくなれば万事解決バンジージャンプ!!!!

素晴らしい!!!!!!!!!!!!

 

 

 

とはならんのですよ

そもそもなんで怒りや劣等感を感じてるかっていうと実はこれって僕が21年間のどこかに「自己肯定感」を置いてきちゃったからだと思うんですよね

人間だれしも怒りや劣等感って言うのは抱え込んでると思います、というかそれを感じない人間なんてのはいません

ただそれの対処の仕方に関して言えば自己肯定感があるかないかでは雲泥の差があると思うんですよ、それによって「疲労」の度合いが大きく変わってきますしその差こそが僕らを明確に分けるものなのではないかな、と思っています

 

自己肯定感が欠けると自身への評価が最低になるわけですが、だからこそ他人の非道徳的な行いや低俗な行為を許せないと思うんですよね

私でさえこれが出来ているのになぜお前らは出来ないのだと、こうして本来抱えるべきでない怒りを抱えこんでしまうわけです、疲れる

 

劣等感に関しては言わずもがな自己肯定感が欠如すれば永遠と湧き出るようなもんですこんなもんは

そもそもこれ書いてる時点で劣等感まみれだ、と言うか俺には学がない。学がないからこんな読みづらくて頭の悪そうな文章しか書けねえんだ

 

それらをどうにかするにはそうした感情を上手く解消できるような”手段”が必要となってくるわけです。ただ僕はどうしてもそれらが分からなかったんですわ

 

生きているだけで永遠と怒りは湧いてくるし劣等感だってとめどなく溢れてくる、だけどそれらを解消してやるような手段が分からないしそれを模索して起こすほどの気力なんてものも絞り出せない

 

 

そうして解消しきれなかった感情の塊が時間と共に堆積されて行って気付いたら名前もつけられないような複合感情になっていて、それはあまりにも大きすぎて消化していくのは不可能で

もはや怒りや劣等感を克服する方法ではどうしようもない

その間でさえもとめどなく負の感情はあふれ出してそこへ集積されていく

これを解消しなければこの苦悩からは解放されないが、これを解消するのは不可能であり、それはあまりにも空虚なことではないだろうか?

この矛盾によって生じるものこそが虚無感なんだと思う、というか僕が感じてるのはこれなんだと思っている

なにをしてもなにをしても満たされない何かが僕にはあってそれこそが堆積した感情の何かなのである

美味しいご飯を食べても、仲の良い人たちと騒いでも、哲学をこねくり回しても、趣味にふけっても一時は快楽を感じてもすぐさま満たされない何かが自覚されてしまう

そろそろこの苦しみの循環から逃げ出したいと思います

 

 

 ・蛇足

以上がまあ気持ち悪い自分の内情と言うか読めば読むほどガキみたいな文章してますね、マジで教養も学もねえ

これが本当に遺書になったら笑いものですわ

 

さて、ここまで読んだ物好きはそうそういないと思うのですけども言っておきたいこととしてはこんなものに感化されないでくださいねってこと

あとは書いてあることが正しいとは限りません、と言うか多分95%くらいは誤った内容であるとは思います、感情の言語化が下手くそなので

あなたの周囲にもこうした虚無を抱えてる人間って言うのはいるのだと思いますけども同じような内容を適用しないで頂けたらな、と思います

 

 

ということで、もしかしたら今日こそ逃げ出せる日なのかもしれないので少し賭けてみたいと思います、それでは